ママ・アフリカーー歌手ミリアム・マケバ

こんどの金曜日から「飛ぶ魚」では南アフリカ共和国の女性たちの刺繍「マプラ刺繍」の展示が始まります。南アフリカ共和国といえば19世紀のはじめ南ア連邦成立後20世紀はじめより黒人たちへの徹底した差別隔離がおこなわれ、居住地を全国土の9パーセントに限定(1913)、参政権剥奪(1936)、異人種間の結婚禁止(1949)などアパルトヘイト政策がとられた苦しい歴史の中にある国です。1962年には反アパルトヘイトの指導者マンデラが逮捕され、1990年に釈放されるまで獄中に。グラミー賞受賞の国民的歌手ミリアム・マケバはその渦中1932年に首都ヨハネスブルグに生まれ、白人に忍従の幼少期をへて、その歌声を認められ、アメリカへ脱出、大成功を治めますが、1967年に帰国しようとしたとき国外追放されます。その後望郷の念をいだきつつ、アメリカからギニアに移り、故郷にもどったのはじつに31年ぶりの1990年でした。彼女自身は政治的なプロパガンダの歌手ではなく、歌うことが好き、歌うことで人々と喜びをともにすることが好きなふつうの人だった、それなのに住む国もさだまらない、さまざまな辛苦を味わいます。そのマケバの自伝が『わたしは歌う』(1994年福音館書店刊 さくまゆみこ訳)です。そのころよく聞いていたマケバの「パタパタ」などの歌を思い出しながら、この貴重な一冊の自伝を読み直しました。歌の好きな小さなアフリカの娘がどんどん注目されていくと同時に、妊娠、出産、さずかった一人娘を育てながら、歌いたくてうたいつづけるマケバ。すさまじい成功をもたらした国アメリカはしかし、黒人解放運動の指導者とマケバが結婚したことを機にてのひらをかえすように、出演依頼が激減。アフリカのギニアにのがれそこで暮らすことでなぐさめられた日々。つつましく声高に主張することをしてこなかったマケバの半生を読むと、南アフリカの女性たちの背負ってきたつらい日々の片鱗が実感されました。『マプラ刺繍』は今を生きるアフリカの女性たちの自立の一助をにないながら、クリエーターとしての自覚もつちかってきた、元気のいい刺繍です。ぜひ実物を見にいらしてください。マケバの歌、CDでもでています。ぜひ、豊かな歌声をお聞きになってみてください。「飛ぶ魚」でもながします。

 この本には別冊付録があり、ノンフィクション作家の吉田ルイ子が、この本のあとのマケバのこと、またマケバに初めて会った頃のことを思いを込めて描いています。1967年にアメリカのハーレムのデモではじめてマケバを見て、紹介されたとき、日本の公演から帰って間もないマケバは吉田ルイ子が日本人と知ると「日本は平和で、やさしい人々の住む国ですね」といった、と書かれています。日本が「平和で、やさしい人々の住む国」であることを誇りにして、憲法9条に守られながら生きてきた歴史をいまくつがえしてはいけない、と思います。この付録もじつによみごたえがありますが、この本が手に入らなくて残念です。